[会社の沿革]
・西暦1884年(明治17年)
「初 代」 宮崎 和吉
熊本市川尻町50番地にて創業する
(当時、藍瓶24本にて藍染めを始める)
・西暦1918年(大正7年)
「2代目」 宮崎 和
・西暦1923年(大正12年)
熊本市刈草町に織物工場を開設する
(肥後絣.上紺.縞.各種綿布.タオル等)
・西暦1966年(昭和41年)
「3代目」 宮崎 精治
会社法人化
寝装品.作業着.綿入袢天等の卸業を営む
・西暦1982年(昭和57年)
織物業より撤退する
・西暦1995年(平成7年)
「4代目」 宮崎 寛人
印染め染物全般(旗.幕.幟など)
手染め及びスクリーン印刷を始める
[操業時の工場設備]
荒捲整経機(低速)100″1台
部分整経機(低速)75″1台
全自動管捲機(コップチェンジ用)4錘×4台
自動経糸継機(75″用)1台
緯糸残糸整理機1台
無芯管捲機12錘4台
チーズワインダ−102錘1台
75″鈴木式タオル自動織機(光電管フイラーコップチェンジ)4台
75″遠州式タオル自動織機(コップチェンジ)2台
65″大隈式普通織機4台
60″大隈式普通織機6台
56″遠州自動織機(コップチェンジ)16台
56″遠州自動織機(ユニフル付光電管フイラー付)4台
56″豊田普通織機(ドビー片四挺付)6台
44″豊田自動織機(光電管フイラーコップチェンジ)
経糸ビーム昇降機1台
オーバーロックミシン2台
動力ミシン2台
[肥後絣]
素朴で強い綿の絣は明治以後昭和初期まで男女問わず野良着など日常着として不動の座を占めていました。
正藍を原料にして染めた藍染めの糸で織り上げる肥後絣は洗うほどに色が冴え着やすくなる良さがありました。
昭和10年前後は30有余軒の織元がありましたが、最後は当社一軒だけになり、県の伝統工芸品の指定を受け井桁や亀甲など古い伝統の20数種の柄を守ってきましたが昭和57年には織物業より撤退し、やむなく生産を中止致しました。
熊本市観光協会発行
ふるさと「史跡と風土をたずねて」
より抜粋
※現在は肥後絣の製造及び販売は一切致しておりません。藍染めも休止しています。